こんにちは、【エリカ健康道場】 の北島です。
先日、仕事の関係で20年ぶりに仙台に行ってきました。
東北は寒いというイメージで寒さ対策をしっかりして行ったのですが、滞在した3日間は日中上着もいらないほど暖かったです。
JR仙台駅付近の中心部は「杜の都」にふさわしく、都会ながらも緑が多くて非常にきれいな街でした。
滞在最終日の午前中にせっかく東北まで来たので、東日本大震災の被災地を見学に行こうという事になりました。
被災地見学には「語り部タクシー」を利用しました。
仙台中央タクシー 語り部タクシー
語り部タクシーとはタクシーの運転手さんが、被災地めぐりをしながら当時の様子をお話しいただける貸切タクシーです。
私たちが利用させていただいたのは仙台駅をスタートし2時間半で、仙台市の蒲生(がもう)地区、荒浜地区、名取市の閖上(ゆりあげ)地区を廻るコースです。
2011年3月11日の東日本大震災での津波の被害は、佐賀在住の私には、テレビやネットのニュースを通じてしか知りようもなく
大変お恥ずかしい話ですが、仙台市内やその近郊でここまで被害が出ていたとは知りませんでした。
被害の多かった地区は瓦礫こそすっかり片付けられているものの、そこにあったであろう建物の基礎部分以外は何もなくなっていました。
仙台市宮城野区蒲生地区の様子。
被災前の写真なども展示されているのですが、アスファルトの道と家の基礎で辛うじてその場所の特定ができるほどでした。
防風林の松林はほとんど流されてしまっており、数本残っている松も上の方の葉がわずかに残るのみ。
枝がない部分(10mほど)まで津波が来ていたそうです。
防風林跡。枝がなくなっている部分(約10m)まで津波がきたそうです。
閖上中学校跡地にもご案内いただきました。
仙台市の隣、名取市閖上中学校跡
入口が封鎖されていました。
閖上中学校跡は間もなく解体される予定だそうです。
震災から4年以上経ちましたが、被災地の現在の状況を初めて目の当たりにして、まだ復興は途中なんだなと改めて感じました。
地元の方がおっしゃるには、復興を怪我に例えるなら「まだ絆創膏が貼られただけの状態」だそうです。
まさにそうだと思います。この現実を我が子達にも見せなければと思いました。
同じ日本で起きた震災がどれほどのことだったかを知っておかなければいけない。と、感じたからです。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、震災の事を忘れてはいけないと強く思いました。